アコーディオンから流れるロシア民謡の調べに合わせて客席から歌声が上がり、次第に大合唱へ…。50代以上の世代にとって、青春の一風景であった「歌声喫茶」が。再び活気ずいている。手作りで歌声コンサートを催す人、わずかな数となってしまった歌声喫茶に友人を引き連れて足を運ぶ人。歌を仲立ちに、青春の思い出を分かち合う。
16日、埼玉・越谷市の「ア・ス・ヴェルデホール」で、中高年の歌声がこだました。
●リクエスト続々●
トロイカ、雪山讃歌、青い山脈、百万本のバラ…。百人を越える参加者からは続々とリクエストカードが提出される。アコーディオン奏者で文教大学講師の渋谷沢兆さん(66)も汗だくだ。ほおを紅潮させ、声を張り合げて昭和30〜40年代に流行したロシア民謡、シャンソン、労働歌、童謡などを歌う。カラオケとはひと味違う。「温かさ」が漂った「思い出の歌声コンサート」は大盛況のうちに幕を閉じた。
「私自身も社会人のころ、新宿の超満員の歌声喫茶に通いました」とコンサートの仕掛か人、人材派遣会社、オー・エス・イー社長の中島昌喜さん(57)は笑顔で話す。「戦後復興期、木の長いすに座り歌集を手に皆が歌で一つになる。あの連体感がよかったなあ。今日も皆、青春時代に戻ったようですよ」と感激の面持ちだ。
94年、中島さんは定年間近のサラリーマンや退職した人たちに。職場を離れたネットワークを提供しようと、中高年男性の集い「東彩会」を発足させた。そのメンバーから「懐かしい歌声喫茶をやりたい」と声が上がった。折よく地域振興のため自社ビルに設けた「ア・ス・ヴェルデホール」で、月一度の市民コンサートを始めた時でもあり、すぐに企画が動き出した。
●準備は手作りで●
昨年10月に第1回の歌声コンサートを開き、今回が2度目。チラシ、歌集は社員を動員した手製。「喫茶」の雰囲気を出そうと用意したコーヒーは家で沸かしポットで持ち込んだ。
演奏家や歌唱指導をする司会者の調達には、市民コンサートの時から中島さんに協力してきた渋谷さんが動いた。
「教え子や知人がボランティアで出演してくれる。音楽とは、皆の心を打つべきもの。最近、そんな歌が消えているから、余計人の心に訴えるんでしょうね」(渋谷さん)
今回は、参加希望者が殺到したので2部構成にした。「1ヵ月に1度やってくれなんて言われて、困っちゃうよね」と中島さんはうれしさを隠せない。コンサートを機に歌声の魅力を再確認したいという会社員、松木優さん(57)は、「時代とぴったり重なって、僕の場合転職を繰り返したサラリーマン時代が思い浮かぶんです。皆で郷愁に浸れる良さがある」と話す。
●中高年ぬくもり求め、カラオケから回帰も●
東京・新宿の雑居ビル6階にある「ともしび」。ここは1955年に開店、歌声喫茶第1号店となった「灯」を引き継ぐ店だ。「日本で残っている歌声喫茶はもう3店だけ。でも、カラオケだとやっぱり物足りないなんて言って、戻ってくれるお客さんが増えているんですよ」と店長代理の寺谷宏さんは話す。金曜日の夜、店には年配の男性が続々と詰めかける。
神奈川大学講師の臼井進さん(67)はこの日、早稲田大学在学中のかってのゼミ仲間7人を引き連れてやってきた。酒を酌み交わしながら、歌集を見て皆で選曲。ステージで肩を組み、歌うのは「エルベ河」。
「今日は戦争中の複雑な気持ちがよみがえりました。どの歌にもその時その時の思い出が宿っていて、だれが歌っても共感できるんです」としんみり。
●「出張」は全国に●
職業も世代も違う人たちが、生演奏の歌で一つになる。娯楽が少なかった60年代、歌声喫茶は若者が集まる場として一世を風びし、ピーク時には都内だけで数十店が乱立した。その後、様々な娯楽産業の台頭で淘汰の時代に入ったが、根強いファンに支えられて「ともしび」の火は消えずに残った。
最近では全国各地の団体や主婦サークルから「地元で歌声喫茶を指導して欲しい」という要請が後を絶たない。「ともしび」では1ヵ月に10ヶ所以上で、出張歌声喫茶を開いている。
「歌いながら目にうっすらと涙を浮かべる人もいるんですよ」と寺谷さん。歌声喫茶に集う中高年は、語らずとも、歌で心を通わせ、古き良き青春時代に思いをはせる。
(生活家庭部 松本和佳)