【2001年3月15日掲載】
爽やかな青春よ恋よ ・・・ナツメロ想い出の集い賑わう。
命短し、恋せよ乙女(ゴンドラの唄)、暗い浮世の、この裏町を(裏町人生)、雨降れば、雨に泣き(君忘れじのブルース) ・・・ 流れて来たほろ苦く、甘い青春時代の懐かしいメロデイーに惹かれるように足を踏み入れたのが、過ぎ去った青春時代を回顧しながら、友情を暖めあい、素晴らしい想い出をいつまでも語り継いでいこうというナツメロ想い出の集いの会場。
青春時代を生死紙一重の戦争体験をくぐり抜けて、戦後の平和な日本に生きた世代にとって、世の流れ中で心に暖かく訴えた流行歌は生きる勇気を与えてくれた糧であり栄養剤でもあった。 一つ一つの唄にそれぞれの人たちの深く、重い思い出が籠っており、メロデイーのなかに人生も軌道が秘められている。
ナツメロ想い出の集いは、ただ昔を懐かしむだけでなく、緊張感のあった青春時代の体験や大切な人生観を、少しでも次代の若者に伝えて参考にしてもらいたいという願いも込めているという。
昨年8月、田辺豊太郎、高橋昇、五十嵐司さんの3人の発起人によってスタート、第1回集いを開いた。ナツメロ想い出の集いは以後3ヶ月ごとに集いを開いている。5月6日、聖市リベルダーデ区のレストラン・ボウレバルジ・サロンで第4回の集いが開かれ、70人余りの同好者たちが集まった。
なかには、サンタ・カタリ−ナから蝶細工・作家の千葉修也さんがエレクトーンを持参して参加、東京ラプソデイ、人生の並木路、赤城の子守唄など10曲を演奏して出席者を感動させた他、バイア州クビチエッキ移住地在住の94歳の西谷松夫翁が3回目に続いて参加。この集いに合わせてサンパウロの親戚宅を訪問するという入れ込みようで、童謡や流行歌を張りのある声で披露して拍手を受けていた。西谷翁はシベリア出兵に従軍した筋金入りの強兵で、軍歌や明治時代の流行った歌に目を細めていた。
田辺さんは肩書きも経歴も全く関係なく、本当にナツメロを愛している人たちが集まって、語らいと歌を楽しんでいる。 集いには懐かしい写真なども持参して披露しあうので、次の集いにも多くのナツメロ愛好者の出席を呼び掛けたい。また、今まで3か月に1回の開催だったが、皆の強い要望で今後は2ヶ月に1回の開催となり、次の第5回の集いは7月1日午前11時から、聖市リベルダーデ大通り156のレストラン・ボウレバルジときまったと語っていた。
問い合わせは田辺さん(電話011-5078-9657または五十嵐さん(電話011-3726-3709]
【サンパウロ新聞2000年5月17日水曜日】
【2001年3月29日掲載】
なつメロ想い出の集い
この頃、「なつメロ想い出の集い」に20人近くが集まった。この集まりのきっかけは、私がサ紙に「コロニア生活となつメロ」のタイトルで書いた一文に共鳴された多くの方々がお電話く下さったのである。
随筆の内容は、3歳で渡伯した私が71年のブラジル生活で幼少期に・・・俺は河原の枯れすすき・・・の「船頭小唄」やら・・・泣くなよしよしねんねしな・・・の「赤城の子守唄」などを唄いました、若しこの記事を読まれて共鳴された方が居られましたらご連絡くださいと、電話番号を書いたのでした。そうしましたら私が想像もしなかった反響があり、25名の方々か
ら電話を戴いた。中には90歳の御婦人もあれば、遠くは奥地のマリリアの方からも戴いてびっくりした。
多くの方々が「あんたの唄った歌、私も全部唄ったよ」と感情の篭った電話があった。私はこの反響に驚くと共に、私の拙い文章でも、意外と大勢の皆さんが読んで下さってるのだと、嬉しくなった次第である。なつメロがそれ程回想を呼び起こす魅力があることを改めて認識した。そして留意したことは皆さん今、流行のカラオケのファナチコではなく、風呂にでも入ったときに思わずなつメロを口ずさむ方々なのである。歌の上手下手は問題なく、蘇ってくるあの時代の追想を味わっておられる方々が多いのである。
そこで私は、折角これだけの皆さんが関心を持って下さったであるから、是非一堂に会しようと皆さんに連絡した。先ず一番遠いマリリアの片倉さんに電話したら、片倉さん「僕は万難を排しても行くよ」といって盛り上げてくれ、そして集まりが実現したのである。
場所はアヴ・リベルダーデ156のボレボールドで、20人が集まった。片倉さんははるばるマリリアから来られ、皆さん全部初対面であり、なつメロが取り持った珍しい集まりであった。
食事をはさんで自己紹介と思い出話をした。そのあと、全員の希望で3ヶ月ごとに集まることに決めて合唱に入った。
先ず童謡から始まって、唱歌、流行歌、軍歌、等々精一杯合唱した。 そして最後に ・・・兎追いしあの山、小鮒釣りしかの川・・・の「故郷」、そして「蛍の光」を唄って、又会いましょうと名残惜しんで散会した。
さて終わりに、この集まりの魅力はなつメロを唄うだけが目的でなく、なつメロの雰囲気によって浮かんでくる思い出を語り合うことも楽しいのである。次の集まりは11月6日、世話人の電話:5078−9657田辺
【2001年3月29日掲載】
なつメロ大会
9月7日のブラジル独立記念日に、なつメロ大会が盛大に行われた。
会場のサンパウロ文協の記念講堂は、補助席を作っても足りない程の超満員で、なつメロの愛好者として喝采を叫ぶものである。
実は、私はしばらく前になつメロの事を新聞に出したりして、なつメロの愛好者なので、記事には幼少時代に「船頭小唄」や「赤城の子守唄」等々を歌いました、同世代で同好の方が居られましたらご連絡くださいと、電話番号を書いた。それで大勢の方からの電話があり、なつメロの集まりが始まったのである。
皆、初対面でしたが昔からの友達のように打ち解けて歓談して、声を張り上げて懐かしのメロデイを唄った。そうしたことがあったので、この催しに大いに関心を持った。
さて、大会を主催された全伯老人倶楽部連合会であるが、大変なパワーに感心した。これを見ると、壮年層が中心のサンパウロ文協は、このパワーを見習う必要があると思った。
この大会の盛り上げ役は、日本から来られた「昨日、今日、明日、に唄う」の、なつメロ・グループの皆さんで、皆さんはるばる日本から自費で来られたのである。そして尚且つ慈善団体に寄付までされたので、その熱意には脱帽しなくてはならない。
皆の歌の中にコロニア生活感の滲んだものが感じられ、それぞれ感情の篭った歌を聞かせてもらった。 特筆すべきは「影を慕いて」を唄われたアルーダ・エジージオさんでした。 ・・・幻の影を慕いて雨の日に、月にやるせぬ我が想い・・・ ブラジル人が感情を込めて歌う、これ正しく日本文化の普及である。
さて前述した集いにも感じていたのであるが、今回の盛況を見てつくずく思ったことは、なつメロがこれ程コロニア生活に染み込んでいたのかと言う事で、人間生活にとって、歌がこれ程意味があったのを再認識したのであった。Ate Breve!
【2001年3月29日掲載】
軍歌の回想
2月5日に第3回なつメロの集まりがあって50数人が集まった。今回は、なつメロのビデオを映しながら合唱した。
特筆すべきは、バイヤ州のクビチエッキ移住地からはるばると94歳の西谷さんの参加であった。西谷さんは独唱もされたが歌詞も間違えず、声も若者に負けないような張りのある見事なもので、とても94歳なんて感じを忘れさせるものがあった。
この集まりの発端は私が去年の7月、新聞に少年時代になつメロを唄いました、との感想記事を出したのがきっかけだった。そして3ヶ月毎に、行う度毎に仲間が増えている。喉自慢の集まりではなく、なつメロに纏わる少年少女時代の話をしたり、青春時代の回想に浸りながら、童謡、唱歌、そしてなつメロを合唱する集まりなのだ。
さて今日は、なつメロは単なる回想のセンチメンタルに浸るだけのものでなく、見方に依っては時代を比喩したものがあると思う。仲間の山下さんが下さったビデオの「軍歌集」の「戦友」は少年時代に覚えたものであるが、今じっと聞いていると軍歌とは勇ましいものである筈なのだが、人間の心の底にある悲しみをメロデーが浮き上がらせるものがある。
ここはお国を何百里、離れて遠き満州の、赤い夕日に照らされて、友は野末の石の下…中略・・・戦い住んで日が暮れて、探しに戻る心では、どうか生きていてくれと、ものなと言えと願うたに、空しく消えて魂は、国へ帰ったポケットに、時計ばかりがコチコチと、動いているのも情けなや・・・中略・・・想えば去年船出して、お国が見えずなった時、玄海灘で手を握り、名を名乗ったのが初めにて、それより後は一本の、タバコも二人で分け合って・・・思いもよらぬ我れ一人、不思議に命長らえて、赤い夕日の満州に、友の塚掘ろうとは、隈なく晴れた月今宵、心しみじみ筆とって、友の最後を細々と、親御へ送るこの手紙、筆の運びは拙いが、行灯の影で親達の、読まるる心を想いやり、思わず落とす一滴・・・ 「筆の運びは拙いが、行灯の影で親達の、読まれる心を想いやり、思わず落とす、ひとしずく・・・」 これを繰り
返していると、親御さんの気持ちを察して思わず涙が零れる。戦争はいかんと「戦友」はメロデーで訴えている。名台詞と名メロデーは、年月を越えて人の心を打つものである。
第4回の集まりは、5月6日、場所はアヴ・リベルダーデ156番ボレーヴォールド。是非、ご参加下さい。 世話人の電話は813−7709いがらし5078−9657たなべ迄
追伸:「架け橋」の序文を書かれた方が、田辺さんの日本語の堪能なことには感心する。3才の時、ブラジルに来たと言われるから、田辺さんの日本語は、正に全部ブラジル製であろう。驚くべきことである。
(軍歌を大合唱されるサンパウロも、ロシア民謡を合唱するトロントも、志は同じく反戦の歌声であることがわかりました。丸木英朗)
【2001年6月29日付のサンパウロ新聞より】
想い出噛み締めながら7月7日、肩を組んで懐メロの集い懐メロの会(田辺豊太郎)・五十嵐司代表)の第11回懐メロの集いが、7月7日午前11時から聖市リベルダーデ大通り156番のレストラン・ボウレバルジ・サロンで行われる。
昨年7月、田辺代表の発起で始まった懐メロの集いは、田辺さんが少年時代に親父たちがピンガを飲んでは、故郷を偲んで手を叩きながら唄っていた「船頭小唄」や「赤城の子守唄」や、やがて田辺少年が成長して、日本から伝わってきた流行歌を蓄音機で聴きながら青春を過ごした、あの歌この歌の想い出を、邦字紙に投書したのがきっかけで、これを読んだ同好の士たちが、是非みんなで想い出を噛み締めながら大いに唄いましょうと発足したもので、毎月第1土曜日に開かれている。
集いでは懐しのメロデイーの数々を唄うだけでなく、その歌にまつわる想い出やエピソードを語り合うという和気藹々の集いとなっている。
毎回50人近い同好者たちが集まり、この1年間で延べ500人あまりが出席して楽しんでいる。
田辺代表は、多くの懐メロを愛する人々に参加を呼びかけている。会費は無料。
問い合わせは田辺代表(電話0XX11・5067-8957)又は五十嵐代表(電話0XX11・3726−3709)
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ブラジルの歌声運動も盛況のようです。私も来月には、藤本義一等の大学同級生と共に肩を組んで、新宿の「ともしび」で唄って来ます。
丸木英朗